萩岡美知子 個展『rhythm』@創治朗
萩岡は、幼少時より油彩およびデッサンの正統的な絵画技術を身に付け、
また、書道にも親しんできました。
また、書道にも親しんできました。
2008年には京都精華大学マンガ学科カートゥーンコースを卒業し、
これまでの各経験値を複合し絵画、書道、漫画の要素をふるいにかけた
独自の描線・画面構築の方法を発想しました。
これまでの各経験値を複合し絵画、書道、漫画の要素をふるいにかけた
独自の描線・画面構築の方法を発想しました。
現在は作品の支持体はキャンバスであるものの、絵具と絵筆ではなく油性・
水性含むマーカーペンを、自身にとってもっとも主要な画材としています。
水性含むマーカーペンを、自身にとってもっとも主要な画材としています。
萩岡にとってマーカーペンは、描画行為に対して求める、手の疾走感、
筆圧の微妙な変化の描線への反映、その描線の刻むエッジーな表現など、
いわば描き手の体のリズム感覚をもっともダイレクトに反映できる描画
ツールとして選んでいます。
筆圧の微妙な変化の描線への反映、その描線の刻むエッジーな表現など、
いわば描き手の体のリズム感覚をもっともダイレクトに反映できる描画
ツールとして選んでいます。
制作全般のテーマとして、普遍的な日常のいとなみに感じる美しさを、
現代の街並みなどの風景を描くことを介して表現しようと試みています。
現代の街並みなどの風景を描くことを介して表現しようと試みています。
今展はタイトルのとおり“rhythm”=リズムをテーマとし、萩岡が日常生活の
中で触れているリズム――あるとき耳にしたクラブミュージックのリズムや
繰り返す日々が刻む時間のリズムから着想して、現代の暮らしのさまざまな
局面に持続しているリズムのなかから、「淡々と過ぎてゆく事実」の描出を
試みます。
中で触れているリズム――あるとき耳にしたクラブミュージックのリズムや
繰り返す日々が刻む時間のリズムから着想して、現代の暮らしのさまざまな
局面に持続しているリズムのなかから、「淡々と過ぎてゆく事実」の描出を
試みます。
今展において考えられている「リズム」とは、生命が現れては活動しやがて
死に終着して消えゆくまでを一拍としてとらえるような、俯瞰的または
大局的な無常観の感覚を帯びており、そうした生から死へのリズムが無数に、
淡々と繰り返されてゆくさまこそが日常であるという認識にもとづいています。
死に終着して消えゆくまでを一拍としてとらえるような、俯瞰的または
大局的な無常観の感覚を帯びており、そうした生から死へのリズムが無数に、
淡々と繰り返されてゆくさまこそが日常であるという認識にもとづいています。
刻一刻と命あるものが生まれては消えてゆく――。人々の日常の中では必ずしも
十全に直視されておらず、また直接目に触れるような場には現れていないが
確かに存在しているそうした事実を、都市の日常風景に見出される建物の
かたちのリズム、人々の雑踏のリズム、現代文明の暮らしの中のリズムに
重ね合わせて描き出し、
十全に直視されておらず、また直接目に触れるような場には現れていないが
確かに存在しているそうした事実を、都市の日常風景に見出される建物の
かたちのリズム、人々の雑踏のリズム、現代文明の暮らしの中のリズムに
重ね合わせて描き出し、
そこから遥かな宇宙的普遍性の領域に向かって飛び立とうとするように
曼荼羅を参照した形態のリズムを描いた作品へとリンクさせます。
曼荼羅を参照した形態のリズムを描いた作品へとリンクさせます。
さまざなアプローチを試みていますが、全体を貫いているのは、生命にとって
望ましいリズムを捉えること、そのリズムを整えることが生命の行方をうまく
運ぶことという考えです。
望ましいリズムを捉えること、そのリズムを整えることが生命の行方をうまく
運ぶことという考えです。
一見して喧騒や工業音や消費社会の速いサイクル、またあらゆる管理体制に
覆われ閉塞をきわめたようにも見える現代都市の風景のなかから、生命が
その本質的リズムを見失わずに生き生きとするための手がかりを探る
美術表現を追究しました。
覆われ閉塞をきわめたようにも見える現代都市の風景のなかから、生命が
その本質的リズムを見失わずに生き生きとするための手がかりを探る
美術表現を追究しました。
(text:二見正大)
●会期
2016年8月28日(日)~9月18日(日)
開廊時間: 金~日曜 12:00~19:00
休廊日: 毎週 月~木曜
レセプションパーティー:8月28日(日) 17:00~
レセプションパーティー:8月28日(日) 17:00~
●会場
兵庫県伊丹市中央6丁目1‐33 中本ビル2F
(阪急伊丹駅より徒歩約6分・JR伊丹駅より徒歩約9分)
Tel:072-773-3910
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