八太栄里 個展『暮れる日』@ギャラリーデン南山城村
仏教の言葉で西方浄土というものがある。
太陽が沈む西の方角に極楽浄土があるという教えだ。
日本人は昔から赤く染まる西の空に手を合わせ、
故人や自分の命が辿り着く先に想いを馳せた。
太陽が沈む西の方角に極楽浄土があるという教えだ。
日本人は昔から赤く染まる西の空に手を合わせ、
故人や自分の命が辿り着く先に想いを馳せた。
動植物の活動が最盛期を迎える夏。
この頃の夕暮れは何故あんなにも懐かしく感じるのだろうか。
ヒグラシの声に包まれながら暮れていく空を眺めていると胸に迫るものがある。
この頃の夕暮れは何故あんなにも懐かしく感じるのだろうか。
ヒグラシの声に包まれながら暮れていく空を眺めていると胸に迫るものがある。
お盆、終戦記念日、死者の魂を供養するための花火大会、
怪談話や肝試しのシーズンでもあるこの時期は目に見えない存在を
なんとなく意識する行事が多い。
蝉の一生の儚いイメージなんかも相まって、私は1年の中で最も命の
終焉に対して敏感になる。
怪談話や肝試しのシーズンでもあるこの時期は目に見えない存在を
なんとなく意識する行事が多い。
蝉の一生の儚いイメージなんかも相まって、私は1年の中で最も命の
終焉に対して敏感になる。
死について考えるとき、日常と切り離してはならない。
誰にでも平等に死は訪れるように、日常と地続きのところにいつも存在している。
誰にでも平等に死は訪れるように、日常と地続きのところにいつも存在している。
少しだけ普段と視点をずらし、思考を働かせることでものの見え方が変わってくる。
終末を冷静に見つめる視点を持ち、そばに携えながら日々を暮らすのは
今をより良く豊かに生きるための方法で、私は自分の作品がそのような
役割を果たせるように努めたい。
終末を冷静に見つめる視点を持ち、そばに携えながら日々を暮らすのは
今をより良く豊かに生きるための方法で、私は自分の作品がそのような
役割を果たせるように努めたい。
南山城村「青い家」は気軽に立ち寄れる場所ではないが、行こうという
意思さえあればいつでも辿り着くことができる。
意思さえあればいつでも辿り着くことができる。
今回の展示はそんな日常の延長にあるちょっとした非日常を用意し、
物事の終焉や目に見えない私たちの辿り着く先について思考を傾ける場としたい。
物事の終焉や目に見えない私たちの辿り着く先について思考を傾ける場としたい。
それは「青い家」に飾られる絵だけでなく、そこに辿り着くまでの道程を
含めた鑑賞者の旅が主役となる。
含めた鑑賞者の旅が主役となる。
オープニングイベント「吊るす日」
7月16日(日)13:00〜 予約不要
場所:青い家
参加費:200円(材料費)
プラスチック板を青い家の縁側に吊るし新しい風景を見つける
ワークショップを行います。
透明の板が重なった向こう側はどのように見えるでしょうか。
風が吹けば涼しげな音も鳴ります。
ワークショップを行います。
透明の板が重なった向こう側はどのように見えるでしょうか。
風が吹けば涼しげな音も鳴ります。
●会期
2017年7月16日(日)〜7月29日(土)
12:00〜17:00 初日のみ12:30〜
12:00〜17:00 初日のみ12:30〜
●会場
AIR南山城村“青い家”
AIR南山城村“青い家”
京都府相楽郡南山城村字高尾小字下廣見35
tel : 0743-94-0012
休廊日:水・木曜日
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