下山直紀 個展『martyrdom of creature』@H-art Beat gallery

下山直紀 展 | martyrdom of creature

martyrdom of creature
自分の彫刻作品について自ら註釈を加えることは可成りモヤモヤする作業だが、
誰のためでもなく自作を自分の手で面倒を見ることに他ならない。
新時代の到来を描く芸術が個人的衝動表現ならば、ある意味昔話的なストーリーを
持つ自作は、文脈を含め未来に残したい『彫る』事と『語り継ぐ』事の
受動的能動表現である。
話は変わるが、とあるTVショーで令和の時代は「神によって統治される
世界が平和をもたらす」と...。
神とは? AIに代表されるテクノロジー、はたまたUMA? 地球外物質...。
要するに肉体を持たない超人類が完全なる正の 存在となると。
ここで我々は今一度源となるアイデンティティを顧みて、天上(貴種)から見た
地上に於ける卑、俗なる流離の 物語を思い出さなければならない。
月のお姫様が地上という世界に転落し悲しい経験をしてまた月に戻る。
...かぐや姫の話だ。民俗学者の折口信夫 博士が論じた「貴種流離譚」による、
天上の存在がある罪で地上に降り流離の果てに再び天上の存在になる概念 は、
イエス・キリストのストーリーにも重なる。
現代の貴種流離にはどんな事が考えられるだろうか。小説家の 三島由紀夫は
この流離の相を異類という負の言葉で呼び現代の貴種として描いたそうだ。
私は信仰をもってはいないが...殉教...信ずる事のために死ぬ(負の状況)事は
徹底することによって正の意味と なる。三島由紀夫は自身の思想の故に
自決したと言われるが、それとは別にジェンダーの苦悩や自身の絶頂期の
タイミングに究極のかたちをとったともいわれている。
作品《あんまりあけすけな質問でどきりとするよ (2015) 》を今あらためて見ると、
若さとは正義ではあるが、 現実の中で生きる経験と、若さに執着しない
自らと各々にも趣を見出せるのではないか。
作品が果たす殉教の果 ての痕跡に苦悩のアイロニーを感じる。
martyrdom of creature ...生き物の殉教、または生命の苦悩と題した本展覧会では、
流離のなかで起こりうる異 類=貴種の問いかけや、生の中にある承認欲求の
醜くも美しい姿を描きたい。私の中での現代的な作業である。
つまり無垢とは反対の『アイロニー』の真髄が作品となり得るのだと思う。
頭の中で答えを探そうとするアーティストもいる(あらゆるテクノロジーを含む)。
しかしオブジェクトである 以上目の前の物質存在との格闘が必要だ。
過去の巨匠が枕元に出てきて、「僕らの手法できみの彫刻を作ってく れ...」と、
囁いた...。と、これは冗談であるが、私はまだAIに取って代わられたり、
超意識体(トランスヒュー マニズム)にはなりたくないと、今あらためて思う。
2019年7月 下山直紀 


●会期
2019年7月23日(火)〜8月3日(土)
*29日(月)、30日(火)休み


★オープニングレセプション 7月26日(金) 18時〜20時
 
13:00〜19:00
*最終日〜18:00
 

●会場
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-38-10 多幸ビル2階
Tel: 03-6256-8986