日野田崇 個展『手と色形楽』@イムラアートギャラリー


日野田崇 手と色形楽
     ≪
地軸のずれる音≫   2019年 セラミック 112x44x46cm
     

手と色形楽       

 私は、一貫して陶による立体造形に取り組んできました。
その姿勢は、陶を基盤にしながら、あくまで現代の視覚造形のひとつの
在り方を追求するものです。私が陶の最も重要な特質と考えているのは、
時間を超えて「半永久的に遺物として残り続ける」可能性があるということです。
そして制作においては、もうひとつ、物質である素材と、それを手で加工して
いくことを重視しています。それは労働の一種ですが、それを概念に完全に
置換することはできません。そこには、単に手仕事への懐古的な郷愁にとどまらない、
「もの」と人間の感覚の交感に伴った官能性や抵抗感、循環をともなった
やりとりがあります。利便性に偏った現代人の生活はこのような要素を
どんどん失くしていく方向に向かっていますが、それと逆行する手の労働には
もっと積極的な意味があると思っています。
 近代的な「美術/工芸」のような二元論や、概念を基盤にしたテキストや
リサーチ、映像的な手法を多用するContemporary Art の領域とは別の枠組みを
自身の制作に想定するために、最近では「手色形楽(しゅしきけいがく)」
という言葉を使っています。今展ではとくにその用語を展覧会の表題に
押し出しています。" Art" や" Kunst" といった西洋の概念と用語に対応する枠組みを、
あとから当て嵌めたがために、諸工芸、書などの居場所が宙ぶらりんになって
しまったのは周知の史実です。「手色形楽」とは、そのような状況の中で、
前近代的な復古に走ってしまうことなく、自分にとっての色やかたちそのものの
価値をもう一度見つめていこうという試みです。
 1970 年代の初頭、ブラジルが軍事政権下にあった時代に、当局の歌詞検閲を
かわすために、ミルトン・ナシメントが「魚たちの奇跡」の収録曲のほとんどを
スキャットで歌っていたという事実は、私にとって重要です。
このエピソードは政治的な要素も持っていますが、本来の「音」の潜在力を
彼が知っていたことの証左のように思えるのです。色やかたちにもそれと
同じような作用があるのではないでしょうか。色とかたちは本来、それ自体が
ひとつのことばのはずであり、ときにはヴァーバルな言語をはるかに凌駕
するほどの戦慄的なカタルシスを見る者にもたらすことがあります。
私にとって、映像の色彩がなにかいまひとつ物足らなく感じるのは、
おそらくそれが「光」をベースにしているからだと思っています。
「光」は概念の足場である意識に働きかけます。それとは対照的に、陶の色彩は
「もの」に受肉した啓示であり、重さや陰、灰汁のようなものを含んでいます。
そこには私たちが自らの身体性を再考するきっかけが潜んでいると信じています。

日野田 崇


歪み、デフォルメ、ブレ、反復、と

 生命体とも言い切れない存在。頭部、胴体、手足のようなパーツはデフォルメされ歪み、
触手のようにしなやかに伸び、分裂し変態しながらもバランスを保ち立つ。
表面のイメージもまた同様の特色を持ちつつ、かたちに寄り添いながらもブレて
また反復する。このように日野田崇の作品群には、歪み、デフォルメ、ブレと反復という
特徴が顕著である。これらの特徴が、立体というかたち、イメージ、展示される場に、
絡み合いながら展開する。
 日野田は制作のプロセスにおいて、スケッチやマケットのようなものを予め用意せず、
直接土に向かう。それは感覚だけを頼りに手を動かす身体的なものである。
日本の漫画、アメリカン・コミック、グラフィティ、イラスト、町中でみかけた広告、
看板、浮世絵、さらには大津絵など多岐にわたるイメージから影響を受けており、
フォルムはぬるりとしなやかな変形が施され、イメージはクリアな黒いアウトラインで
塗り分けられる。
 日野田は自身の制作過程の別の影響要素として音楽を挙げる。ジャンルにこだわらず
即興的なものを好み、そこで体得する感覚を重要視する。なるほど、フリースタイルな
リズム、グルーヴに自らの直感を乗せ、土に直接手で触れ、成形、色を施し、素材との
交信を重ねる過程で、時に無意識も意識するかのように、記憶や経験と身体とが一体となり、
立体というひとつの姿へと変貌をとげる。
この勢いは立体に留まらず、台座、床、壁面へと展開する。この時、日野田は与えられた
場の内にイメージをレイアウトしなければならない。だが視点を変えれば、この構成により
展示空間は、四方八方にぶつかり跳ね返るリズム、叫び、そのエコーの増幅と拡散の場と
化すのだ。このように捉えると、歪み、デフォルメ、ブレと反復は、予定調和に収まり
きらない、より動的なるものの連鎖の表れである。
 この歪み、デフォルメ、ブレと反復は現代を生きるひとりの思考の投影でもある。
土による成形、マスキング・テープを用いてフリーハンドで分割された面に極細の
ノズルから自身の息で塗料を吹き付けるといった作業等の幾度もの繰り返しは、制御と
忍耐そして時間を要するものである。さらに焼成による外形や色の変化は作家による
制御を裏切る。作家はその都度、決断と選択を迫られる。こうした工程は、日野田に
とって、既に混沌とした社会に生きる自身の全身全霊を創造に投げ入れる行為に均しい。
あたかも、自然環境と日常の営みが危機的状況にある現代を受けとめ、当事者として
この社会といかなる関係を構築できるか模索するかのごとく。
 一貫して土という物質を用い、身体と素材とのダイレクトなコミュニケーションに
よる制作にこだわり抜く所以のひとつに、このように、一方に直感と即興という内なる
衝動と速攻性、他方に行為の制御、忍耐、反復という外的要因を伴う作業といった
二極にあるものの相互共存の必然性があるからではないか。作品タイトルがテーマ
あるいはコンセプトであり、かたちと色はその描写という一方向のみに集約されがちだが、
違う。直感、触知、記憶、素材と生成のプロセス、思考、言葉-これらが作家の身体を
通して密接に関わり、同時並行的に、時にそれぞれの要素が交互に通奏低音となり、
その上で他の要素による演奏が進行するかのように、かたちと色が紡がれるのである。
 丸みのあるフォルム、表面のざらつきは皮膚のようでもあり、卵の殻のような質感を
帯びる。イメージは滑らかに吸い付くように表面に延びる。こうして現前する造形は、
支配と管理に好都合なシステムに組み込まれ、身動きが取れない現代人の姿。
だが、この世界に今もなお未来を抱くことが出来るのであれば、この先が見えず
抑圧された状態からの解放を予見するものであってほしい。

北出智恵子
(キュレーター/美術批評)
 

●会期
2019年12月7日(土)〜2020年1月25日(土)
 
 
●会場
イムラアートギャラリー京都
京都市左京区丸太町通川端東入東丸太町31
開廊時間 :火曜日〜土曜日 / 12:00〜18:00
休廊日 :日・月・祝祭日
Tel : 075-761-7372